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錦天満宮の場合 [よもやま話]

一の鳥居を残して、二の鳥居との間にマンションを建てたのが梨木神社なんですが、一の鳥居、二の鳥居、それにその間をつなぐ参道も残しながら、それらの周囲に建造物を密集させたケースといえば・・・・これはご存じの方も多いでしょうが、錦天満宮ですね。

鳥居の笠木や貫が両サイドの建物にめり込んでいるとか突き刺さっているとかの形で紹介されることが多いのですが、正しくは「建物が鳥居を包み込んでいる」わけですね、はい。

詳しく調べたわけではないですけど、①新京極が開かれるにあたって参道の一部がお召し上げになる。②鳥居脇にも家屋が建つ。③数度の立て替えを経て鳥居と密着するまで近接してくる。④当初の平屋建てが階上を建て増すにあたって鳥居の一部をくわえ込む(現状)といった感じではないでしょうか。

鳥居が壁に食べられていない時の様子がわかる古写真などが出てきたらスゴイなと思いますけど、ちょっとムリっぽいですね。
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両側が食べられている鳥居の図(2017年)。
ちなみに二の鳥居はよく見えませんが提灯群の背後にあります。




【追記:6/22】
新京極が開かれたのは明治の初期(明治四年か五年)。その段階で錦天満宮の参道周辺がどのような状態だったかはわかりません。現在の場所に一の鳥居があったかどうかも含めて不明です。しかし敷地の構造から推測するに、仮に一の鳥居があったとすれば現在の場所に近いあたりだったことでしょう。現在の一の鳥居が奉納されたのは、柱に刻まれた年次によれば昭和10年のようです。この頃には二階建ての家屋は多くは無かったと思いますし、現在のようなコンクリートの建物でもなかったことでしょう。つまり一の鳥居が奉納された時点では、まだ両サイドはきちんと空中に出ていたはずです。その後(たぶん戦後になってのこと)、改築&コンクリート化するにあたって現在のような姿になったものかと思います。

「京都クルーズ・ザ・プロフェクト」のWEBサイトもご覧ください。
http://kyoto-cruise.sakura.ne.jp/




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