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嵐山・花灯路 [よもやま話]

そこはかとなく仄聞するところによれば、嵐山の花灯路が始まっているとか。
ということで、4~5年ぶんのストックから選んで貼っておきましょう。定番といえば定番なんでしょうけど、まあいいでしょう。

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超絶お約束の渡月橋



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これまたお馴染みの竹の小経



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有名なクチでしょうけど、足の向く機会が少ない法輪寺





「京都クルーズ・ザ・プロフェクト」のWEBサイトもご覧ください。
http://kyoto-cruise.sakura.ne.jp/







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ジョンレノンの訃報(アドベントカレンダー12月9日) [よもやま話]

〓この記事は[××年前の今日 Advent Calendar 2017]https://adventar.org/calendars/2213に連動しています〓

1980年12月9日、子供心ながらも衝撃を受けるニュースに接した日である。ジョンレノンの訃報である。レノンの伝記は、一般には1980年12月8日没と記されているが、ニューヨーク時間(アメリカ東部標準時)によるもので、日本では12月9日となる。昨日の記事が、真珠湾攻撃開始の日付が12月8日なのか7日なのかというテーマだったわけだが、それと同じ日米間での時差によって8日と9日の違いとなっているわけである。標準的な記述は現地時間に即してなされるので12月8日没とされるが、そのニュースを日本で聞いた日時となると、間違いなく12月9日なのである。

厳密な日時の件はこのくらいにしておくが、レノンの訃報の前後にはいろいろな巡り合わせがあったことを記憶している。一つはレノンに直接関わることで、彼が音楽活動を再開したこと。11月に発売された「ダブルファンタジー」を予約注文して入手したばかりであった。もう一つは、レッドツェッペリンの解散である。数ヶ月前にドラムのジョンボーナムが亡くなっていたのだが、彼の代役はいないとなってグループとしての活動に終止符を打った。この解散が報じられたのがいつだったか記憶にないが、仲間内で話題になった直後にレノン暗殺のニュースに接したのである。

ジョンレノンとレッドツェッペリンでは系統が違い過ぎるのはもちろんわかっている。しかしビートルズとレッドツェッペリンという形で並べると、ともに時代を画した存在である。ジョンレノンが死んだことでビートルズの復活(当時は、いつ、どういう形で復活するか等々の話題は定期的に起こっていた~ほとんどは期待先行のガセネタだった~)はあり得ないことになり、同様にボーナムの死とグループの解散をもってレッドツェッペリンもまた歴史の中に記される存在となった。

そしてもう一つが、その1~2ヶ月後ぐらいだったはずだが、とある文章で、時代を画する死が存在するという内容に接したことである。文章は、詩人で評論家の北村透谷の自殺を取り上げたものだったので、レノンとは無縁である。しかし、その内容は、当時の私の気持ちに強く響くものだった。同時代的な感覚ではよく理解されなくても、後に振り返ると、その死が時代を分ける象徴性を持つものだったことが見えてくるとかの主旨だったように記憶している。文章のタイトルや筆者に関する情報は記憶に残っていないのに、そうした主旨だけが深く刻みつけられたのは、その文章によってジョンレノンの死および時を同じくして報じられたツェッペリンの解散が時代の分岐点になるのではないかと感じたからである。

実際のところ、私自身、80年代の洋楽は不思議と聴かなくなってしまった。それまではチャートを賑わせた新曲には積極的に反応していたというのに、それ以降のヒット曲は、ラジオ等で耳にすることがあったとしても、妙に空々しく聞こえるようになっていた。音楽評論家的にはどう言われているのか知らないが、1980年の12月は、私の中では一つの時代が終わったと感じさせられた時でもあった。





こちらの記事もジョンレノンに対する思いが綴られています
http://blog.goo.ne.jp/shiotch7/e/44e38fc8490f6a005b1d5c890ed85ede


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