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実方雀 [よもやま話]

一の鳥居、二の鳥居の話のきっかけとなった寺社移転ネタをあれこれやっていた折り、現在は市原に移転している更雀寺はかつて四条大宮にありましたという話を紹介したと思います。その更雀寺は、通称「雀寺」と呼ばれています。これは、平安時代の貴族、藤原実方がとある事情によって奥州に左遷され、任地で亡くなった後、都を偲んで雀となって戻ってきたという伝説があるからです。

 さて、この話、京都に伝わる伝説としてはよく紹介されるのですが、改めて話の出どころを確認してみようと試みると、けっこうやっかいだったりします。「実方が雀になった話」という部分だけを取り上げるなら、江戸時代の妖怪絵師、鳥山石燕も「入内雀」と題して描いているので古くからポピュラーなネタだったことは分かりますが、雀となった実方がやってきた場所が更雀寺だったという点は、かなり危なっかしい気がします。

とりあえず、手許にある資料で調べた範囲ですが、鎌倉時代の説話集「十訓抄」には、実方が雀となって「殿上の小台盤に居て」とあります。これは殿上の間に用意された食器台の上にやってきてということでいいでしょう。つまり実方雀が現れたのは御所は殿上の間ということです。

とりあえず、ここまでは確認できるのですが、ほかの部分は???をつけておきます。出典を書かずにダイジェスト的に紹介されるところによれば、内裏から勧学院(藤原氏の学寮)へ飛んでいったとかの話もあり、その勧学院の跡地に開かれたお寺が実方雀にちなんで更雀寺と名付けられたとのことですが、そうした伝説がいつ頃から語られるようになったのかは、やや腰を据えて調べてみるのも面白そうです。

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勧学院の跡を伝える石碑(千本三条西入るを上がったところの個人宅前)



「京都クルーズ・ザ・プロフェクト」のWEBサイトもご覧ください。
http://kyoto-cruise.sakura.ne.jp/




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