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こだわれば…… [よもやま話]

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 前回、写真だけを貼っておいたものについてのお話。まず、この祠の正体ですが、惟喬神社というものです。ぱっと見た印象はいかがでしょうか。そうですね、清水寺や金閣寺みたいなハデさは、まったくありませんね。これが「惟喬神社です」と言われても、ふーんと言って流してしまうのが普通ではないでしょうか。

 ところが、ここで一歩立ち止まってしまうのが、私たち、京都クルーズ・ザ・プロジェクトなんです。どういうことかというと、どうして惟喬さんを祀っているんだろうというところにアンテナが反応するからなんです。

 惟喬さんというのは、惟喬親王のことで、平安時代の皇族です。少し詳しい人なら『伊勢物語』に出てくる人?と言うでしょう。そう、その惟喬親王です。それでは『伊勢物語』でお馴染みの惟喬親王がここに祀られていますという説明で、パッとものの見え方が変わってくるでしょうか。中には、そういう方もいらっしゃるかも知れませんが、たいへいはへぇ~そうなんだ……で終わってしまうのではないでしょうか。

 それに、ほとんどの場所では、通り一遍の説明なら解説板が近くに建てられていて、もっともらしいお話はそんな解説板を通して知ることができます。実際、多くのガイドブックでは、その内容を書き写してきて、リピートすることを説明とか案内とか言っているようです。でも、私たちはちょっと違います。惟喬親王を祀っているというのはいいでしょう。でも、なぜ?というところが引っ掛かってきます。なぜかというと、他の場所での取材を通して、惟喬親王のことを、その場で得られる情報以上には、知っているからです。

 写真で紹介した雲ヶ畑の惟喬神社に解説の駒札が設置されているかどうかは知りませんが(記憶の限りではなかったような)、もしあるとすれば平安時代の人で『伊勢物語』に出てくるとかぐらいのことは触れられているでしょう。少し詳しい解説があるとすれば、惟仁親王との皇位継承レースに敗れて隠棲したといった話も紹介しているかも知れませんし、隠棲地が「小野」という場所であるということにも触れているかも知れません。

 問題は、そこから先です。惟喬親王のプロフィールがあらかた理解できたとして、雲ヶ畑がなぜ、惟喬親王に繋がるのかといった関心に興味が向かうかどうかなのです。政治的敗者である惟喬親王(今年のNHK大河ドラマでいえば崇徳上皇みたいな立場です)ですから、そうした側面に関係するのかもしれません。そうすると雲ヶ畑という場所が歴史的にどういう空間だったのかといったところへも興味は広がっていくでしょうし、惟喬親王ゆかりのスポットは、実はあちらこちらに点在しているという事実ともヒットするでしょう。

 要するに、私たち京都クルーズ・ザ・プロジェクトは、通り一遍のハイキングガイド、観光ガイドではなく、ひと癖もふた癖もある視点をたくさん持ちあわせているというお話です。長々と書いていると、シマリもなくなるので、このあたりで切り上げておきますが、こだわれば、そのぶん面白みが見えてくるのが人の世だとすれば、私たちの手許にはそのための小道具がたくさん用意されているということです。

あれ??

 ムダ口ばかり叩いていたものだから、また写真を出すのを忘れてしまいました。ということで、今日の1枚はこれにしましょう。詳しい説明は次回……って実は、これも惟喬さん絡みだったりします。

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WEBサイトもごらんください。http://kyoto-cruise.sakura.ne.jp/

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